私が生きている意味

ちょっと、いや、かなりオタッキーな話題、出してもいいですか?
というより、出します(笑)

もともと、私は霊感体質というか、割に不思議体験をしてきたタイプです。
江原先生のように、見えない人たちが見える、ってことはありませんが、存在を感じることならあります。

そんな私が、昨年、生死の境をさまよった状態になり、そこから意識を取り戻して現在に至るわけなんですけれど、不思議なことに、よく言われる死後の世界など見ていないはずなのに、「死」が怖くなくなったんです。
(でも、あの状態で死んだら、自分が死んだことに絶対気づかないって思った。江原先生が仰っていた、「死んだことに気づいていない霊」になるところでした。)

退院してからの私は、何かにとりつかれたかのように、スピリチュアル本を読み漁っています。
あの世を漠然と身近に感じ始めて、そこから、「私って何?」「今生きている意味って?」「私の果たすべき使命は?」etc...とまぁ、洪水のように「Why?」が私の中で渦巻いています。

その「なぜ?」は、決してネガティブなものではなく、私がやり残したことってなんだったんだろう?というもの。

そして、私の人生で私が学ぶべきことって何だろう?って。


夫と出会って、私は少しずつ変わってきた。
考え方にまだムラはあるものの、基本的に前向きになった。
上の子が生まれて、そこでいろいろとあったけど、その「意味」を考えることが多くなった。
そして、下の子を妊娠して、「死ぬ気がしねぇー!」と豪語していたら、危うく死にかけた。

その「死にかけた」ことをきっかけに、さらに「意味」を考えるようになった。


たとえば、嫌なことがあったとする。
以前の私だったら、「なぜ私ばっかり!!」と被害妄想に浸って、がん細胞のようにネガティブな気持ちが増殖していたものだけど、今は、

「嫌だと思うも、それを学びと思うも、自分の心がけ次第」

と思うようになった。


また、嫌なことが起こるということは、自分にもその原因があるということ。
原因がなければ、その結果となる「嫌なこと」は起こらない。
すべて、原因があって結果がある。


まだ、生きることの「真理」を見出せずにいるけれど、私なりに昇華できればいいなぁと思ってる。
今までは、「弱い自分」を見てみぬフリをしてゆるしてきたけれど、これからは、その弱い自分と向き合っていかなきゃね。
しっかりと向き合って、その上で「私が私であること」を認めたい。


ひぃぃぃ、なんか、頭が混乱してきました(笑)
やっぱ、哲学って、難しい^^;