今年の目標
今年のアタクシの目標。
それは・・・・・
慈愛。
夫にそれを言ったら、
「キミの場合、慈愛じゃなくて”自愛”でしょーーーー( = =) トオイメ」
・・・・・。
でも、でっかく行きます(笑)
慈愛です。慈愛。
今まで募金とかしたことなかったけど、コンビニで小銭が出ればチャリーンと入れてます。
ななみちゃんも無事マイアミに到着できたみたいだし、本当によかった。
(実は、小額ですが、協力してみました)
ななみちゃんの様子を読むだけで、涙が出てきてたまらなかったのです。
挿管された姿は、さや姉の手術の時を思い出させたし・・・・。
子供の病気は本当に切ない。
遠く日本から、手術がうまくいくことをお祈りします。
そして、もう一つ、目標があります。
それは。
「継続」。
私の場合、慈愛よりもこっちの方が最優先課題のような気がしてなりませんが(;´Д`A ```
慈愛と継続。
なんか、変な組み合わせ(笑)
肝っ玉母さんになれるか!?
百合姫を産む前は、障害児だとか、健常児だとか、そういうことにこだわってた部分があるんだけど、実際に今のところ健常である百合姫を産んでから、あまりこだわらなくなってきた。
というより、さや姉(さや獣から昇格!)は、私の中では「フツー」なのですよ。
そりゃ、周りの3歳児に比べれば、体も小さいし、出来ることも少ないけどね。
百合姫に関しても、こちらもある意味正常に生まれてきていないので(笑)、特別なケアを経て今に至っているせいか、さや姉と変わらないくらい特別な子になっています。(もちろん、普通に産んでいても特別ですが)
今日、百合姫の頭部MRIの検査結果を聞いたのだけど、とある所見が±と出た。
生まれるとき、私が痙攣を何度か起こしていたので、母子ともに酸素不足だったこと、また、産後も百合姫は呼吸を助ける器械をつけていた関係もあり、足の動きをつかさどる部分にプラスマイナスの所見があるのです。
そんなに悲観的になるようなものではないのですが、定期的なフォローが必要だとか。
心配するほどのものではないけれど、もーーーーしかすると、幼稚園に通う時期になった時に、足に不具合が出る可能性があるかもしれない、と。こういわれると、かなりビビりますが^^;、あちら側も言わないわけにはいきませんからね。
いつどこで子供がどうなるか分からないけれど、可能性としてこういうこともありえる、とあらかじめ分かっていると、それはそれで気が楽。(それでも何が起こるかわからないけどねぇ)
もう、さや姉のことから始まり、百合姫に至ってるわけですから、気持ち的には
「何でも来い!」ってな感じですわ(笑)。
なんだか、子供たちのおかげで、肝が据わってきたような気がします。
いい歯医者に当たった
昨年末に、歯医者に行ったんだけど、そこがさ、すごく良かったのよ。
今まで、腕は良いんだろうけどなんか合わない、ってところばかりで。
自分から進んで歯のクリーニングに行こう、なんて絶対思わなかったの。
そんな歯医者嫌いな私が、どっちかというとワクワクしながら行くようになっちゃったのよ(笑)。
ドクターはおしゃべりで(笑)、説明もしっかりしてくれるし、患者の話をちゃんと聞いてくれるのよ。これって、かなり重要ポイントだよね。
それと、「ちょっとガマンして」っていうのがない。
「ドイツの拷問で、麻酔なしで歯の神経を弄る、っていうのがあったくらいだからねー!痛いの弱いの当たり前!」とウンチクを語ってくれました。
痛みに弱いから、ガッツリ麻酔効かしてくれ、とリクエストしたら、ほんとにガッツリ効かせてくれたし。
あんまり私が「痛いのヤダ!」って言ってたもんだから、子供に使う音の少ないタービンで削ってくれたわさ(笑)。
歯の詰め物が取れたのがきっかけで行くようになったその歯科医院だけど、それから親知らずも抜いたし(!)、これからも通い続けよーと思ってる次第。
今の歯科医院に通うようになってから、しっかり歯間ブラシ使って、歯と歯茎のケアに励んでいます( ̄ー ̄)ニヤリ
いつかはホワイトニングしたいなぁー。
瞑想入門
自分と向き合うために、ちょっと瞑想なんかをはじめてみた。
って、カッコいいこと言ってるけど、どうかしたら自分の前世とか見れるかなぁ〜とか思って(笑)。
でも・・・・
瞑想してるつもりが、いつの間にか寝ちゃうんですけどΣ( ̄⊥ ̄lll)
気がついたら、気持ちよく朝日が部屋の中に差し込んでいます。
おかげで、よく眠れています(笑)。
私の場合、瞑想ではなく、迷想ですな。(もしくは、寝れ想)
深呼吸してリラックスするだけ、というのが瞑想なんですけれど、どーも難しい。なので、ワイス博士のストレス・ヒーリングを購入してみた。
まだ普通に聴いてるだけなので、効果のほどは分かりませんが^^;。BGMがとってもキレイなので、それだけでもリラックスできる感じです。
私が生きている意味
ちょっと、いや、かなりオタッキーな話題、出してもいいですか?
というより、出します(笑)
もともと、私は霊感体質というか、割に不思議体験をしてきたタイプです。
江原先生のように、見えない人たちが見える、ってことはありませんが、存在を感じることならあります。
そんな私が、昨年、生死の境をさまよった状態になり、そこから意識を取り戻して現在に至るわけなんですけれど、不思議なことに、よく言われる死後の世界など見ていないはずなのに、「死」が怖くなくなったんです。
(でも、あの状態で死んだら、自分が死んだことに絶対気づかないって思った。江原先生が仰っていた、「死んだことに気づいていない霊」になるところでした。)
退院してからの私は、何かにとりつかれたかのように、スピリチュアル本を読み漁っています。
あの世を漠然と身近に感じ始めて、そこから、「私って何?」「今生きている意味って?」「私の果たすべき使命は?」etc...とまぁ、洪水のように「Why?」が私の中で渦巻いています。
その「なぜ?」は、決してネガティブなものではなく、私がやり残したことってなんだったんだろう?というもの。
そして、私の人生で私が学ぶべきことって何だろう?って。
夫と出会って、私は少しずつ変わってきた。
考え方にまだムラはあるものの、基本的に前向きになった。
上の子が生まれて、そこでいろいろとあったけど、その「意味」を考えることが多くなった。
そして、下の子を妊娠して、「死ぬ気がしねぇー!」と豪語していたら、危うく死にかけた。
その「死にかけた」ことをきっかけに、さらに「意味」を考えるようになった。
たとえば、嫌なことがあったとする。
以前の私だったら、「なぜ私ばっかり!!」と被害妄想に浸って、がん細胞のようにネガティブな気持ちが増殖していたものだけど、今は、
「嫌だと思うも、それを学びと思うも、自分の心がけ次第」
と思うようになった。
また、嫌なことが起こるということは、自分にもその原因があるということ。
原因がなければ、その結果となる「嫌なこと」は起こらない。
すべて、原因があって結果がある。
まだ、生きることの「真理」を見出せずにいるけれど、私なりに昇華できればいいなぁと思ってる。
今までは、「弱い自分」を見てみぬフリをしてゆるしてきたけれど、これからは、その弱い自分と向き合っていかなきゃね。
しっかりと向き合って、その上で「私が私であること」を認めたい。
ひぃぃぃ、なんか、頭が混乱してきました(笑)
やっぱ、哲学って、難しい^^;